■
おれは色んな自分をホルダーして時と場合を考えて使い分けたい。
みんなでワイワイ喋るときは話すけど次の日用事あるからちゃんと起きるために早く寝たりとか、いつもはほんわかしてるけど仕事のときはきびっとするとか、怒らないかん所でいままでならまーいっかですますけどちゃんと怒るとか
今まではほんわかやさしい自分しか持ってなくて、色んな人がいる中でこーゆー側面欲しいって思ったりするし、それを得るためにおれは今旅したり、ボランティアしたり、交友関係開けたり色んなことに興味もって取り組むわけやんか。
色んな経験してこの時はこうせなあかんとか知って、こうしようって感じて
Sapa
1人になって、ここに来て、欧米人達にたくさん会って、自分はこんなにも何も出来ないんだなって感じた。英語を喋れないという理由で話しかけないし、話しかけられるのを待ってるだけ。
てかなんで欧米人はそんなにかっこいい??
自分の型をもってるよな。その中でちゃんと自分の意見や人の意見を尊重出来てる。
本当尊敬するしそうなりたいと心から思う。
イスラエルのでぶっちょはめっちゃ自己中っぽいけどユーモアに溢れてて自分を満足させながら周りを巻き込んで笑顔にさせる。あーはなれないな。なるきの最終進化系。
イスラエルのミュージシャンはめっちゃいい人。優しくて周りに気遣いができてかつ自分のしたいようにしている。やっぱり型を持ってるし人を尊重できる。俺が最終的に目指す姿。
Intersection
これをすることはおれの自己満なのかな。
一人で全部しようとしてるから誰も肯定してくれないし、何が正解なんてわからんくなってまった。
でもまだなにも始まってないし。今までの俺はダメダメでもこんなに何かを本気でやろうと思ったというか追い込まれたことはない。
人を大切にできないやつに人の上に立つ資格はあるんか、適当で行動力はあるけどそれだけの人間で、なんの価値もない人間や。中途半端なバカで中途半端な覚悟でここまできてまった。
本気で何かを成し遂げよう。まるけんのおかげで俺は本当に大切なことがわかった。
本気でやったらみんな俺のやりたいことを理解しようとしてくれるし助けてくれるはずや。
ほやからおれは本気でやる。
私が変わろうとしたのはいつ?
何故おれは今の自分(自分から人に与へたり、周りをよく考えたり、自分の論理を持ってたり、人を巻き込む力、これら全てがない)を変えようと思ったんだろう。多分他人によっておれは一回変えられてるからだと思う。その経験より変えることは可能だという回路が頭にできてて自発的に動くようになったんだと思う。
もう少し掘り下げる。人に変えられたというのはおれがえろすけと言われた頃だろう。それからエロいことしたりそーゆー発言したらみんなが笑うということを知った。それで人を笑わしたり笑顔にするということの素晴らしさを知り段々と変わっていった。
中学、高校、大学と進み、こんなにもたくさんの人がいて素晴らしい人間性を持っていて敵いっこないんだと知った。でもこの島で生きて行く以上このままのおれでいくはなかった。それでこんな風になったんだと思う。
まずは無理やり変えられたこと。そしてその原体験を元に自発的に動くというサイクルが生まれた。これは普遍的に言えることだ。
存在とは
例えば、よく遊んでいた友達が死ぬとする。
その時は悲しくて仕方なくて、その人のことばかり考える。五分に一回はその子が頭の中に出てくる。
時間が経つにつれ1時間、5時間、1日に一回とどんどん出現の頻度は少なくなる。
忘れることはないが思い出すことはほとんどなくなる。そして年をとっておじいさんになり、二度と思い出すことはなくなる。
そうなってしまうとそもそもその子が存在してたのかさえわからなくなる。
会うということは存在するという認識を頭に刷り込むことだ。でも離れていて合わない期間が増えると、考えない時がくる。そのときその人はこの世から存在してないのと同じになる。生きてても同じ世界にいるとわかっていてもその瞬間、おれの中から彼は存在しなくなる。死んでてもおれの頭の中にいる限り死んでない。本当に死ぬのは人の頭の中から無くなった時だ。存在さえもわからなくなった時だ。
おれという存在は自分が何かをすることによって認識して存在していることを理解する。もし肉体が無くなったとしても考えるということが出来ればおれはおれの中で生きてるし。
この世はそんなもんなんかって思ってしまう。リアルもファクトもイデアもないただの妄想だ。妄想で出来た世界なんだ。
この世から僕がいなくなったら
大切な人がいなくなってもいつもと変わらず、同じように陽が昇る。自分以外のみんなは何事も無かったかのように生活を始める。
本当に存在してたのか。
そんなこともわからなくなるように。
もともと存在などしていなかったかのうように。
生も死もなにもかも
この世には明確な境目というものがあるようでない。
本の中の登場人物だって
実際の友達、家族だって
その境目なんてないのかもしれない。
この世は全部頭の中のフィクションだから。